2021年12月31日

レモネードカフェの記憶

レモネードカフェの記憶

2007年
初めてレモネードカフェにやってきた年で、僕は22歳でした
その当時B-1というフォークサークルに参加していました
主催はアートキューブのスタッフのザッキーさん
19歳の時に出会った、ストリートミュージシャンだった僕にハコでのライブを進めてくれた人物です
当時僕は白浜に住んでいて月一ペースでお世話になっていた
かぐや姫、吉田拓郎、さだまさし、アリス、長渕剛、浜田省吾など、70年代のヒット曲をみんな歌っていた
しかしそんなフォーキーな空間の中、とても不釣り合いなほどの、Xやhideの大量のポスター
この店はなぜこれほどhideを推しているのだろう?
それは一階の奥でパソコンを観ていた車椅子の女性の姿とマスターの話を聞いて全てが繋がる

知ってる人は知ってる話ですが
女性の名前は貴志真由子さん
数万人に一人という難病を患っていた
細胞のエネルギーを作る器官に傷がありうまくエネルギーが作れず筋肉が衰えていくという恐ろしい病気
彼女はXの、特にhideのファンで、彼女の夢はXのライブに行くこと
その夢に手を差し伸べたのは、メイクアウィッシュ、難病の子供に夢を叶えてくれる非営利団体
当時中学生だった真由子さんは夢を叶えることができ、そのドキュメンタリーは1995年に放送された
その後もhideが亡くなった後も、驚き桃の木20世紀、知ってるつもり、奇跡体験アンビリバボーなどでそのエピソードが放送された
僕もそのエピソードを知っていたので、その話を聞いた時、記憶がフラッシュバックして、めちゃめちゃ驚いたのを覚えている
レモネードカフェはhideが亡くなり元気を無くした真由子さんのためにご両親の政人さんと和子さんが2004年に開いたお店
すごいお店で歌わせていただくのだなと僕は慄いた

B-1に話を戻す
このサークルは当時40~50代の人たちがみんながよく知ってるフォークソングを歌っていた
ただ20代だった僕は少し偏屈だった。…今もか
当時僕は田辺のフォーク酒場ウツボムーン(2005〜2015)に通っていて、URC、ベルウッドなどの俗に関西フォーク、アングラフォークの洗礼を受けていた
そこで知った、加川良、高田渡、岡林信康、友部正人などの歌をレモネードカフェに持って行って発表していた
とんでもなく偏屈である
しかしサークルでできたつながりは今現在進行形で続いている

それとは別にレモネードカフェはオープンマイクイベントも開催していた
今はどこでもやっているオープンマイクの元祖はレモネードカフェである。僕もよく参加していた
そこでできた繋がりも今も続いている
その二つのイベントでだいぶ鍛えられた。そこにはマスター夫妻の確かな目があり、アドバイスが的確だった
怒られもしたが、いい部分はちゃんと褒めてくれた
その後はブッキングイベントにも呼んでもらえるようになった
プレイヤーとしてだけではない、音響機材の触り方、イベントのやり方もそこで教わった
初めてイベントを主催したものPAの仕事をさせてもらったのもレモネードカフェが最初だ
色んな経験をさせていただいた。その経験は音楽活動の糧になっている

いい思い出ばかりではない。2009年には真由子さんがこの世を去った
葬儀は長蛇の列でXのメンバーも参加、LUNA SEAからの手向けの花も飾られていた
芸能人の葬儀と同レベルの葬儀
そこで2度目の真由子さんとの再会を果たし、他に類を見ない和歌山の音楽シーンを作ってくれたこと、そこへ参加させてもらったことへの感謝の念を込めて見送った
それから数年後、マスターが脳卒中で倒れ、半身麻痺が残った。長い髪を後ろに括り、髭を蓄えたちょいワルオヤジ風のマスターがお爺ちゃんの姿に変わっていくのは正直寂しかった
マスターは基本地元ミュージシャンのブッキングを行っていたが、その頃からブッキングをしなくなり、地元のミュージシャンが離れていくきっかけにもなった
僕の周りでもレモネードカフェに出たことがないミュージシャンが増えて、それにも寂しさを覚えた
呼んでもらえない分、練習場所として使わせていただいた、個人、ユニット、そして何よりもジャグバンドMuleyの練習場所、そしてレコーディング場所として活用させていただいた
今現在残ってる全てのMuleyの音源はレモネードカフェで録ったものだ。

その頃くらいにありがたい話を二ついただいた。一つはhideの立ち上げたレーベルからデビューしたバンドshameのボーカルCUTTさんの前座、もう一つはXの弟分バンドLADIESROOMのベースGEORGEさんの前座だった
和歌山の一アマチュアが経験できることではない。最高の経験だった
その数年後、HOTEIさんと共にホームスウィートホームというイベントを開始した。僕としての思いは地元のミュージシャンにまたレモネードカフェに帰ってきてもらうように
たくさんのミュージシャンにレモネードカフェの空間を楽しんでもらった
このイベントは思わぬ影響を呼び、裏ホームスウィートホームというパクリイベントも始まった。そこでは新たなミュージシャンの繋がりができ、大きな輪が繋がった
そんな最中、2021年中旬頃、レモネードカフェ閉店のアナウンス、衝撃と共にたくさんの著名ミュージシャンのツイートが上がる。ショックで仕方がなかった
大した恩返しもできずこのままお別れするのは絶対嫌だった。11/27、僕はレモネードカフェでは初のワンマンライブを行った。恩返しできたかどうかわからんし自己満で終わったかもしれないが、やれて思ったと思う

12/25には最後のホームスウィートホームが開催し、僕はレモネードカフェで最後のライブをした。MCでは明るく送ると強がっていたが、心では今にも泣きそうだった
和歌山では出たことのないハコはほとんどない僕でもレモネードカフェはかなり深く付き合わせていただいた、僕にとってもこれからずっと特別な場所だ
ワンマン終わったあたりに僕は週一で個人練習でレモネードカフェを借りていた、言っちゃえば悪あがきだ。どうしてもこの場所から離れたくなかった
壁一面のポスター、シャンデリア風照明、ボロボロのドラムセット、PA卓、全てがあの頃のまま、思い出しかありません
そして2021年12月30日、レモネードカフェは閉店しました

こんな偏屈な声がでかいだけのミュージシャンをいつまでも使っていただきありがとうございました
始まりがあれば終わりがある。でもその後また始まりがあるよ。マスターはそんなこと言ってました
貴志夫妻は新天地で新しいことを計画してる模様、それが実行される時、僕はまた参加したいと思います

貴志夫妻のこれからに幸あれ

最後まで読んでいただきありがとうございました

良いお年を

  

Posted by 松本陽太 at 11:58Comments(0)